メソポタミア文明を題材にしたイメージ

メソポタミア

メソポタミア文明

主に紀元前4千年紀後半~紀元前1千年紀

二つの川の地域で都市と王国が重なった

は、ティグリス川とユーフラテス川を中心とする地域です。
現在のイラクとその周辺に当たり、古い都市や王国が次々に生まれました。
一つの国の名前ではなく、長い歴史が重なる場所の名前です。[1]

川の水を引き、農業を支える

南部の平野では、運河を掘って川の水を田畑に届けるが農業を支えました。
雨が不安定で、洪水にも備える必要があったためです。
豊かな農地は、川だけでなく、水を引き、管理する人々の仕事によって保たれていました。[1]

都市ごとの国が並び立つ

紀元前3千年紀の前半、南部のには、独立したが並び立ちました。
都市と周辺の土地を、それぞれの支配者が治めていたのです。
やがて、複数の都市をまとめて支配する王が現れます。[2]

アッカドからバビロンへ

紀元前24世紀頃、とその後継者は、を拠点に支配を広げました。
それまで争っていたシュメールの都市も、アッカドの王のもとに入ります。[2]

その後も政治の中心は移り変わりました。
紀元前18世紀には、バビロンの王ハンムラビが、戦争や同盟を通じて大きな王国を築きます。[3]

王が変わっても、都市は続く

王朝が終わるたびに、その土地の暮らしがすべて消えたわけではありません。
たとえばバビロンは、支配者が変わった後も、政治や信仰の中心として長く続きました。[3]

メソポタミアの歴史は、各地の都市の歴史が重なっています。
まずは、南部で育ったシュメールの都市を見ていきましょう。

出典・参考資料

  1. メトロポリタン美術館「Art of the First Cities」(2003)
  2. メトロポリタン美術館「The Akkadian Period (ca. 2350–2150 B.C.)」(2004)
  3. Michael Seymour/メトロポリタン美術館「Babylon」(2016、2026年5月改訂)

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