紀元前9~7世紀、メソポタミア北部のアッシリアは、周辺の国々を征服して大きな帝国を築きました。
現在のイラクを中心に、地中海沿岸やイラン西部まで支配を広げたのが新アッシリアです。
王の宮殿には戦争を描いた壁の彫刻が並び、首都ニネヴェには大量の文字資料が集められました。
軍事力で領土を広げる
アッシリアは、北部にあった国です。
新アッシリアの王たちは遠征を重ね、交易路や周辺の都市を支配しました。
支配が広がるにつれて、王が政治を行う都も移りました。
アッシュル、ニムルド、ドゥル・シャルキンなどを経て、紀元前7世紀にはニネヴェが帝国の中心になります。[1]
宮殿の壁に刻まれた戦争
ニネヴェの宮殿には、都市への攻撃や捕虜の列を描いた石の彫刻がありました。
城壁を攻める兵士や、敗れた人々の姿によって、王の軍事力を示したのです。
これらは戦争の記録であると同時に、勝利した王の力を見せるための作品でした。
壁の彫刻だけでは、敗れた側の事情や、戦争の全体像までは分かりません。[2]
ニネヴェに集められた文字資料
アッシュルバニパル王は、で書かれた資料を集め、書き写させました。
その中には、占い、宗教、学問、文学などの文章がありました。
記録を残したのは、紙ではなくです。
ニネヴェの遺跡から見つかった粘土板は、王の政治だけでなく、古代の人々が受け継いだ知識を伝えています。[2]
ニネヴェの陥落
紀元前612年、バビロニアとメディアの軍がニネヴェを攻撃し、都は陥落しました。
アッシリアの勢力はその後も一部で抵抗を続けましたが、帝国を立て直すことはできませんでした。
ニネヴェは帝国の首都ではなくなりました。
ただし、人々の居住が完全に途絶えたわけではなく、後の時代にもこの場所は使われています。[2]
出典・参考資料
- メトロポリタン美術館「Assyria, 1365–609 B.C.」(2004、2010年改訂)
- Michael Seymour/メトロポリタン美術館「Nineveh」(2017)
- メトロポリタン美術館・古アッシリアの隊商会計粘土板 所蔵資料
