紀元前18世紀、現在のイラクにあったバビロンは、周辺の都市を支配する大きな王国になりました。
その領土を広げた王がハンムラビです。
王の名を刻んだ石碑には、裁判や取引に関する判断が残されています。
バビロンが大きな王国になる
バビロンは、南部のユーフラテス川沿いにある都市でした。
川を使って人や物が行き来する地域には、いくつもの都市が並び、それぞれの王が領土を争っていました。
紀元前1792年ごろに即位したハンムラビは、同盟と戦争を使って周辺の勢力を取り込みます。
その結果、バビロンを中心とする王国が、メソポタミアの広い範囲を支配しました。[1]
ハンムラビの石碑に何が書かれているか
ハンムラビの石碑は高さ約2.25メートルで、表面にが刻まれています。
そこには、結婚、相続、土地、商取引、仕事などに関する282の判断が記されています。
文章は「もしこのようなことが起きたら、こう処理する」という形で書かれています。
よく知られる「目には目を」も、その一つです。
ただし、相手の身分によって金銭の支払いになる場合もあり、誰にでも同じ処罰を与える決まりではありませんでした。[2]
王は自分をどう見せたか
石碑の上部には、太陽と正義の神シャマシュの前に立つハンムラビが描かれています。
文字と絵を組み合わせることで、王が正しい裁きを行う人物であることを示したのです。
この石碑は、社会の決まりを伝えると同時に、王の権威を示す記念碑でもありました。
ただし、すべての裁判が石碑の通りに行われたとまでは確認できません。[2]
青い門のバビロンとは時代が違う
バビロンは、ハンムラビの死後も長く続きました。
有名な青いイシュタル門が造られたのは、約千年後の紀元前6世紀です。
同じ都市でも、ハンムラビの王国と、後の新バビロニア王国は別の時代に当たります。[1]
