ローマ共和政は、王を置かず、市民の集会や公職によって政治を行った時代です。
ローマはこの時期に、イタリアの都市から、地中海の広い地域を支配する国家へ成長しました。
しかし、領土から得られる富には偏りがあり、国内の対立と内戦が深まっていきます。
政治の権利をめぐって市民が争う
共和政は、伝統的には紀元前509年に始まったとされます。
初期の政治では、パトリキと呼ばれる有力な家系の市民が、特権を持っていました。
これに対して、プレブスと呼ばれる市民たちは、借金の負担や土地の分配をめぐって抗議し、自分たちの集会や役職を作りました。
対立を経て、裕福なプレブスも政治を担う層へ加わります。
王を置かない制度でも、初めからすべての市民が同じ力を持っていたわけではありません。[1]
元老院と貨幣
政治には、元老院と呼ばれる有力者の会議も関わりました。
共和政期の貨幣は、元老院の命令によって発行されていました。
貨幣には、文字や神々、家系に関わる図像などが刻まれます。
日々の取引で使う小さな銀貨にも、国家や発行に関わる人々の権威が示されていました。[2]
領土が広がり、国内の対立も強まる
ローマは、戦争と外交を通じて、地中海各地へ支配を広げました。
イタリアの外では、シチリア、スペイン、北アフリカなどにを持ちました。
広い領土を治めるには、軍隊と統治のための負担が増えます。
征服によって富を得る人々がいる一方、困窮する市民もいました。
利益の偏りと政治の争いが重なり、共和政は大きな緊張を抱えるようになりました。[1]
内戦からアウグストゥスの時代へ
内戦と政治の危機の中で、カエサルが権力を集め、独裁官になりました。
しかし、紀元前44年に暗殺され、争いは終わりませんでした。
その後の争いを勝ち抜いたのが、オクタウィアヌスです。
紀元前27年、彼はの称号を受けました。
古い制度を残しながら、一人の人物が大きな力を持つ時代へ移っていきます。[1]
出典・参考資料
画像について
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