ローマの内戦を勝ち抜いたオクタウィアヌスは、紀元前27年にの称号を受けました。
彼は、共和政の制度を残しながら、軍隊や役職を通じて大きな権力を握ります。
「第一の市民」を名乗る支配者の下で、皇帝の時代が始まりました。
古い制度の中で権力を集める
アウグストゥスは、プリンケプス、つまり「第一の市民」として振る舞いました。
元老院などの制度は、そのまま残されました。
一方で、彼は軍隊を掌握し、従来の公職に関わる権限も集めました。
制度の名前が続いていても、実際の政治では、アウグストゥスの判断が大きな意味を持つようになったのです。
このような体制を、元首政と呼びます。[1]
帝国の各地に肖像が置かれる
アウグストゥスの公式の肖像は、帝国の各地に設置されました。
人々は、その像を通じて、遠くにいる支配者の姿を知りました。
像は、年を重ねたアウグストゥスも若々しく表しています。
目の前の顔を写すだけでなく、力強く理想的な支配者という印象を伝えるための作品でした。[1]
建築や祭祀で新しい秩序を示す
アウグストゥスの時代には、神殿の修復や祭祀の復興、公共建築の整備が進みました。
紀元前13~9年に造られた平和の祭壇、アラ・パキスも、その時代の記念物です。
文学や美術も、ローマの繁栄とアウグストゥスの支配を伝える役割を担いました。
都市の景色そのものが、新しい体制の権威を示すものになったのです。[2]
都市の生活を支える設備も整う
ローマでは、水や食料を届ける仕組み、浴場などの公共施設も整えられました。
記念物を造ることと、巨大な都市の生活を維持することが、ともに進められました。
ただし、支配者が掲げる「平和」が、すべての地域で争いがなくなったことを意味するわけではありません。
西暦14年にアウグストゥスが死んだ後も、皇帝を中心とする政治は続いていきます。[2]
出典・参考資料
- プリンストン大学美術館「Portrait of the Emperor Augustus」所蔵資料解説
- メトロポリタン美術館「Augustan Rule (27 B.C.–14 A.D.)」(2000)
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