4世紀の皇帝は、キリスト教の公認と、新しい都の建設に関わりました。
皇帝同士の争いを勝ち抜いた彼の下で、帝国の宗教政策と政治の中心が変わっていきます。
複数の皇帝との争いを勝ち抜く
コンスタンティヌスは306年に皇帝となりました。
当時は複数の皇帝が支配を争っており、即位した時点で帝国全体を治めていたわけではありません。
その後、対立する皇帝を破り、324年に帝国全体を支配する立場になりました。
統治を分担する体制から、一人が大きな権力を握る体制へ戻ったのです。[1][2]
313年、キリスト教が公認される
313年、キリスト教を含む宗教の信仰の自由が認められました。
この政策は、として知られています。
キリスト教徒は、信仰を公に認められる立場へ変わりました。[1]
公認は、帝国の全員をキリスト教徒にしたという意味ではありません。
キリスト教が帝国の公的な宗教として確立していくのは、4世紀後半です。[3]
330年、東方に新しい都を整える
330年、コンスタンティヌスは、に面した港町ビュザンティオンを、新しい都として整えました。
現在のトルコのイスタンブールに当たる場所です。
都は彼の名から、と呼ばれました。
ヨーロッパとアジアを結ぶ交易の要所にあり、「新しいローマ」として政治の中心になっていきます。[3]
東方でローマの歴史が続く
コンスタンティノープルは、後にの都となりました。
西側の皇帝がいなくなった後も、東の帝国は、この都市を中心に続きます。
後世にはと呼ばれますが、当時の人々は自分たちをローマ人と考えていました。
宗教と政治の中心が変わっても、ローマの国家と文化は受け継がれたのです。[3]
出典・参考資料
- 大英博物館「Timeline of Roman Britain」
- メトロポリタン美術館「The Roman Empire (27 B.C.–393 A.D.)」(2000)
- メトロポリタン美術館「Byzantium (ca. 330–1453)」(2001、2009年改訂)
- 大英博物館・貨幣所蔵資料(登録番号1863,0713.1)
画像について
AI生成による古い油彩画風のイメージです。330年当時の都市景観を正確に復元したものではなく、建築・船・人物の細部に創作を含みます。
