古代エジプトの国家は、ナイル川に沿って暮らす人々が、しだいに一つの王の支配にまとまることで生まれました。
その歴史は何千年にも及びます。
国家の成立、ピラミッドを造った古王国、国外へ勢力を広げた新王国の順に見ていきます。
ナイル川の南北がまとまる
エジプトでは、ナイル川の上流にある南部を上エジプト、河口に近い北部を下エジプトと呼びます。
紀元前3100年ごろ、この二つの地域が一つの王権の下にまとまりました。
この統一と結びつけられる王がナルメルです。
ただし、統一は一度の戦いだけで完成したのではなく、それ以前から進んでいた地域の統合の結果でした。
南北を結ぶ場所にあるメンフィスが、国を治める重要な拠点になりました。
一方、南部のアビュドスには、初期の王たちの墓が造られています。[1]
古王国ではピラミッドが造られる
は、第3~第6王朝に当たる時代です。
第3王朝のジェセル王は、サッカラに階段状のピラミッドを造りました。
その後、王の墓は、斜面が滑らかな大きなピラミッドへと変わっていきます。
ギザにあるクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドも、この時代の建築です。
ピラミッドの周囲には、亡くなった王に供物を捧げる神殿などが造られました。
王の墓は、死者を葬る場所であると同時に、王を祀る活動の中心でもありました。[2]
新王国では勢力が国外へ広がる
古王国の後にも、エジプトでは統一と分裂が繰り返されました。
さらに時代が下り、紀元前16世紀に始まる新王国では、王たちが国の外へ軍を進めます。
支配や影響力は、南のヌビアから北のシリア方面まで広がりました。
国外との戦争や交流を通じて富が集まり、テーベのカルナック神殿などの建設も進みました。[3]
同じエジプトでも時代によって違う
初期の王権が生まれた時代と、ギザのピラミッドが造られた時代、新王国の時代には大きな隔たりがあります。
王が治めるという仕組みは続いても、都や墓の造り方、国外との関係は変わりました。
建築や王の名前を、その時代に置いて見ると、長いエジプト史を追いやすくなります。
