古典古代の入り口を題材にしたイメージ

古典古代

古典古代の入り口

主に紀元前8世紀~西暦220年。地域比較のための対象範囲

都市国家と帝国を、同じ時間軸で読む

古代ギリシアには、アテナイやスパルタなど、独立した都市国家がありました。
一方、ペルシアやローマは、多くの都市と地域を治める大きな国家になりました。
都市ごとに政治を行う世界と、広い領土を支配する帝国が、同じ時代に並び立っていたのです。

古典古代とはどの時代か

「古典古代」は、主に古代ギリシアとローマの歴史をまとめる呼び名です。
世界中の文明が、同じ時にこの時代へ移ったという意味ではありません。

ギリシアの都市が栄えていた時にも、エジプトや西アジアでは、古くから続く社会が動いていました。
地中海の歴史を読む際には、その周囲の国々との関係も重要になります。

ギリシアには多くの都市国家があった

紀元前7~6世紀のギリシア世界には、と呼ばれるが数多くありました。
山や海で隔てられた都市は、それぞれ政治を行い、現在のギリシア以外の海岸にも広がっていました。

ギリシア語や神々への信仰は、都市を越えて人々を結びつけました。
ただし、政治の仕組みは都市によって違いました。
アテナイの民主政も、ギリシア全体の制度ではありません。[1]

ローマは都市から帝国へ広がる

ローマは、イタリア半島の一都市を中心に、地中海の各地へ領土を広げました。
やがて皇帝が大きな力を持つようになり、征服した土地は、ローマから派遣された統治者などによって治められました。

都市の政治を担う市民と、広い領土に暮らす人々の関係は、拡大とともに変わります。
共和政から皇帝の時代への変化は、ローマの歴史を追う大きな流れです。[2]

同じころ、中国では秦と漢が続く

中国では、紀元前221年に秦が統一を果たし、その後にが続きました。
秦と漢の国家も、広い地域を治める仕組みを整え、人や物が遠くまで行き来する世界を作りました。[3]

ギリシア、ローマ、中国は、同じ制度を持っていたわけではありません。
それぞれの地域で、誰が政治を行い、どの範囲を支配していたかを見ていくと、都市と帝国の違いが具体的に分かります。

出典・参考資料

  1. メトロポリタン美術館「Greek Art in the Archaic Period」(2003)
  2. Christopher S. Lightfoot、メトロポリタン美術館「The Roman Empire (27 B.C.–393 A.D.)」(2000)
  3. メトロポリタン美術館「Age of Empires: Chinese Art of the Qin and Han Dynasties (221 B.C.–A.D. 220)」(2017)

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