7世紀の西アジアの交易路と拠点を題材にしたイメージ

西アジア

正統カリフの時代 ― 共同体から広い国家へ

632~661年

632年にムハンマドが亡くなると、信仰で結ばれた人々は、新しい指導者を選ぶ必要がありました。
最初に共同体を率いたのがアブー・バクルです。
預言者のあとで共同体を治める指導者は、と呼ばれました。
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最初の四人のカリフ

アブー・バクルに続き、ウマル、ウスマーン、アリーが指導者となりました。
632~661年のこの四人の時代を、一般に正統カリフの時代と呼びます。
ムハンマドの子どもが自動的に地位を継いだのではなく、誰に指導する資格があるかが問われ続けました。
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アラビア半島の外へ

アラブの軍は、やペルシアの支配する地域へ進出しました。
シリアやエジプト、イラクなどが新しい支配のもとに入り、共同体は広い領土を治める国家へと変わっていきます。
軍を進めることと、住民や税を扱う仕組みを整えることは、別々の仕事でした。
[1]

指導者をめぐる争い

領土が広がる一方で、カリフの地位をめぐる対立も深まりました。
ウスマーンが殺害され、そのあとを継いだアリーの時代には内戦が起こります。
共同体の中には、誰を正しい指導者と考えるかについて異なる立場がありました。
この争いは、後のイスラームの政治と宗派の歴史にもつながります。
[1][2]

王朝による支配への転換

661年にアリーが殺害されると、ムアーウィヤが新たな支配を築きました。
シリアのダマスクスを中心とするウマイヤ朝です。
共同体の指導者をめぐる問題は、広い帝国を家系で継承する王朝の問題へも変わっていきました。
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出典・参考資料

  1. OpenStax「The Arab-Islamic Conquests and the First Islamic States」
  2. 慶應義塾大学出版会『イスラームの誕生』目次・内容紹介
  3. メトロポリタン美術館「The Art of the Umayyad Period」
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