710年、都は藤原京からへ移りました。
現在の奈良市にあたる都です。
大きな宮殿や役所、寺院を備えた都を動かすには、各地から物資を集め、文書で仕事を進める必要がありました。
奈良時代は、都と地方のつながりが文字の資料にもよく残る時代です。
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政治と信仰の拠点となった都
平城京には、政治を行う平城宮と、東大寺や興福寺などの寺院がありました。
宮の配置や寺院の建築には、中国や朝鮮半島との文化的な交流が表れています。
現在残る建物と、地下から見つかる宮の跡を組み合わせることで、8世紀の都の姿が見えてきます。
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物を運ぶための文字
は、文字を書いた木の札です。
平城京から出た木簡には、備後国の郡や里の名と、税に関する品目、五斗という量を記したものがあります。
こうした札は、どこから何が届いたかを知る手がかりです。
都の生活が、遠く離れた地域の生産と運搬に支えられていたことが分かります。
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国の歴史も文章にまとめる
奈良時代には、712年に『古事記』、720年に『日本書紀』がまとめられました。
文字は、役所の日々の仕事だけでなく、国の始まりや王権の由来を語るためにも使われます。
物資の札と歴史書では目的が異なりますが、どちらも当時の社会を知る大切な資料です。
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平城京から次の都へ
平城京は8世紀の政治と文化の中心でしたが、奈良時代のあいだずっと都が固定されていたわけではありません。
784年には長岡京へ、794年には平安京へ移ります。
都が変わっても、地方と中央を結ぶ政治の仕組みや、文字で記録する仕事は続いていきました。
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