が滅んだ後、中国では・・の三つの国が争いました。
220年から、が統一を果たす280年までを、一般にと呼びます。
北の魏、西南の蜀、東南の呉が、それぞれ自分たちの支配を広げようとしました。
漢の末期に三つの勢力が育つ
漢の末期、は皇帝を自分の勢力の下に置き、北方で力を強めました。
は漢の皇族につながる立場を掲げ、漢を立て直そうとします。
は、長江の下流の江南を支配の基盤にしました。
それぞれの勢力が、土地と人々を支配しました。
やがて三つの国になりましたが、成立した年は同じではありません。[1]
魏、蜀、呉が皇帝を立てる
220年、曹操の子の曹丕が、漢の皇帝から位を譲られて魏を建てました。
これによって、漢の王朝は終わります。
221年、劉備も成都で皇帝を称しました。
後に蜀、または蜀漢と呼ばれる国ですが、劉備自身は漢を継ぐ国だと主張していました。
孫権は222年に独立した統治を進め、229年に皇帝を称しました。
三つの国は、異なる地域を拠点として並び立ったのです。[2]
最後に統一したのは晋だった
263年、魏が蜀を滅ぼしました。
しかし、魏でも権力を握る家系が変わり、265年に司馬炎が魏に代わって晋を建てます。
280年、晋が呉を滅ぼし、中国を統一しました。
魏・蜀・呉の一つが最後まで勝ち残ったのではなく、新しい王朝が分裂を終わらせたのです。[2]
歴史書と小説には違いがある
歴史書の『三国志』は、この時代の出来事を伝える資料です。
一方、『』は、後の時代に歴史をもとに書かれた小説です。
よく知られた英雄の姿や名場面には、物語として加えられたものもあります。
三国時代の墓や器物も、人々の暮らしを知る資料です。
物語と当時の出土品の両方を見ると、英雄の戦い以外の歴史にも触れられます。[1]
出典・参考資料
画像について
AI生成による絵画風のイメージです。当時の作品や特定人物の肖像ではなく、人物・建築・器物の細部に創作を含みます。
