紀元前221年、秦の王は他の国々を征服し、広い地域を一つの国家へまとめました。
王は皇帝を名乗り、後に始皇帝と呼ばれます。
秦は、征服した土地を治めるため、文字や物を測る基準の共通化を進めました。
複数の国から、一つの支配へ
統一の前には、いくつもの国が領土を争っていました。
秦はその争いを勝ち抜き、皇帝を中心とする中央集権的な国家を築きました。
広い地域を、一つの中央の命令の下で治めようとしたのです。
ただし、秦の領土は、現在の中国の国境と同じ範囲ではありません。[1]
文字、貨幣、長さや重さをそろえる
秦は、文字、貨幣、度量衡の共通化を進めました。
度量衡とは、長さ、体積、重さを測るための基準です。
地域によって単位が違うと、同じ重さの品物を集めるにも換算が必要になります。
基準をそろえることは、物資を管理し、記録や命令を各地で使う助けになりました。
統一は、戦争の勝利だけでなく、日々の管理の仕組みを変えることでもあったのです。[1]
始皇帝陵に並ぶ兵士と馬
始皇帝の陵墓の周囲には、多くの坑が造られました。
その中には、実物大の兵士や馬の像、青銅の車、武器などが納められていました。
兵士と馬の像を、兵馬俑と呼びます。
兵士の服装や装備、隊列だけでなく、土の像を作る職人や金属を加工する人々の技術も伝えています。
これほど大きな陵墓を造るには、材料を集め、多くの人の仕事を組織する力が必要でした。[1][2]
秦の支配は長く続かなかった
始皇帝は、紀元前210年に死にました。
その後、秦の支配は崩れ、内戦を経ての時代へ移ります。
統一後の秦王朝は、一般に紀元前221~206年と区切られます。
王朝は短期間で終わりましたが、広い地域を皇帝の下で治める国家は、後の漢にも引き継がれていきました。[3]
出典・参考資料
- UNESCO世界遺産センター「Mausoleum of the First Qin Emperor」
- メトロポリタン美術館「Age of Empires: Chinese Art of the Qin and Han Dynasties (221 B.C.–A.D. 220)」(2017)
- メトロポリタン美術館「Han Dynasty (206 B.C.–220 A.D.)」(2000)
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