スパルタを題材にしたイメージ

スパルタ

スパルタ

主に紀元前7~4世紀

戦士の都市を支えた農業と、忘れられがちな工芸

スパルタは、古代ギリシアのの一つです。
強い軍隊で知られますが、市民が軍事活動に専念するには、食料を作る人々が必要でした。
その農業を担ったのが、ヘイロータイと呼ばれる従属的な立場の人々です。

市民の土地を耕した人々

スパルタの市民は、ラコニア地方の集落に暮らし、広い農地を所有していました。
農地を実際に耕作したのは、ヘイロータイでした。

市民は、その農業から得られる収入や食料に支えられていました。
自分で農地を耕す仕事の多くを他の人々に担わせることで、軍事活動を続けられたのです。
ヘイロータイは、自由な立場で市民と対等に働く人々ではありませんでした。[1]

農地は隣の地域にも広がる

スパルタが強い勢力を持っていた時期には、市民の農地はラコニアだけでなく、西隣のメッセニアにも広がっていました。
スパルタの力は、軍隊と、その生活を支える土地の両方によって成り立っていました。

紀元前4世紀にメッセニアを失った後も、ラコニアではヘイロータイが重要な労働力であり続けました。
支配する土地が変わっても、市民の農地を従属的な人々が耕す関係は、すぐには消えなかったのです。[1]

スパルタにも工芸の工房があった

紀元前7~6世紀のスパルタと周辺では、陶器、金属製品、象牙や骨の彫刻などが作られていました。
職人たちは、器や装飾品に独自の形と模様を生み出しました。

人物や動物を黒く描く黒像式陶器は、地中海の遠い地域にも運ばれています。
スパルタは、軍事だけの閉じた世界ではなく、品物を通じて他の都市とつながっていました。[2]

軍隊の背後にも都市の暮らしがある

スパルタの社会には、戦う市民、農地を耕す人々、品物を作る職人がいました。
それぞれの立場は同じではなく、特にヘイロータイの不自由な労働が市民の生活を支えました。

一方、出土した工芸品は、後世の「質素な戦士の国」という印象だけでは見えない活動を伝えています。
軍事力と日々の生産を合わせて見ると、スパルタがどのように成り立っていたかが分かります。

出典・参考資料

  1. Stephen Hodkinson「Spartiates, helots and the direction of the agrarian economy」、Slave Systems所収(2008)、Cambridge University Press公開要旨
  2. Agnes Bencze、メトロポリタン美術館「Art and Craft in Archaic Sparta」(2014)

画像について

AI生成によるイメージです。人物・建築・器物の細部に創作を含みます。

関連記事

一覧へ戻る