飛鳥時代の寺院建設と職人たちを題材にしたイメージ

日本

飛鳥時代 ― 仏教と都から見える国づくり

6世紀半ば~710年

6~7世紀、現在の奈良県の飛鳥周辺では、王権の拠点となる宮や仏教寺院が造られました。
中国や朝鮮半島との交流は、信仰だけでなく、建物や政治の仕組みにも変化をもたらします。
飛鳥時代は、そうした技術や考え方を取り入れ、国の形を整えていった時代です。
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仏教とともに渡ってきた技術

仏教は、中国から朝鮮半島を経て日本へ伝わりました。
寺院には仏像を造る技術や、瓦を葺いた建築が必要でした。
信仰を受け入れることは、職人や材料、造り方を集めることでもあったのです。
法隆寺に残る7~8世紀の木造建築は、当時の交流と技術を今に伝えています。
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宮と役所を備えた藤原京

694年、持統天皇はに移りました。
都には碁盤の目のような道路が通り、中心の藤原宮には天皇の住まい、儀式の場、役所が並びます。
宮の建物が左右対称に配置され、役人が広場に整列する空間も用意されました。
政治を行う場所が、より大きく計画的になったことが分かります。
[2]

役人が働く仕組みを整える

701年には大宝律令が制定されます。
律は主に刑罰、令は役所や身分、税などに関する決まりです。
藤原宮では、官僚の組織の変化に合わせて役所の建物も建て替えられました。
法律の整備と、実際に役人が働く場所の整備は、同時に進んでいたのです。
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発掘で分かる都づくり

藤原宮では、造営の資材を運んだ運河が見つかっています。
その下層からは、680年代の年や役人の位を記した木簡が出土しました。
都は一度に完成したのではなく、建設の準備が積み重ねられたのです。
710年に都は平城京へ移り、飛鳥で整えられた政治の仕組みは奈良時代へ引き継がれていきます。
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出典・参考資料

  1. ユネスコ世界遺産センター「Buddhist Monuments in the Horyu-ji Area」
  2. 奈良文化財研究所「中国式都城『藤原京』の世界」
  3. メトロポリタン美術館「Japan, 500–1000 A.D.」
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