は、南部の地域と、シュメール語を使った人々の文化を指します。
紀元前3千年紀の前半には、やなどのが並び立っていました。
一人の王が全土を治める、一つの国だったわけではありません。[1][3]
都市には、それぞれの神がいた
ウルでは、月の神ナンナが信仰されていました。
神殿と都市の政治は深く結びついており、宗教は暮らしや統治にも関わっていました。[1]
粘土板に残る、物を配った記録
都市の働きは、小さな記録からも分かります。
ニップルの神殿で見つかった紀元前2600~2350年頃のには、銅製のナイフを誰に何本配ったかが記されています。
物の数と受け取る人を記録して、管理していたのです。[2]
遠い土地から、青い石や金が届く
ウルの墓からは、金やなどを使った品々が見つかりました。
ラピスラズリは青い石で、装飾品や器に使われています。
南部で手に入りにくい材料が集まっていたことから、遠い土地との交易がうかがえます。[1]
ただし、豪華な墓の品々が、すべての住民の暮らしを示すわけではありません。
装飾品からは富や交易を、粘土板からは物を管理する仕事を知ることができます。
都市を越える支配が始まる
紀元前24世紀頃、のは、シュメールの都市を征服して支配を広げました。
都市が独立して並び立つ時代から、広い範囲を一人の王が治める時代へ移っていきます。[3]
この変化を担った王たちについては、アッカドの記事で続きを見ていきましょう。
出典・参考資料
- Lee Horne/ペンシルベニア大学博物館「Ur and Its Treasures」(1998)
- メトロポリタン美術館・ニップル出土「銅製ナイフの配分記録」所蔵資料62.70.95
- メトロポリタン美術館「The Akkadian Period (ca. 2350–2150 B.C.)」(2004)
